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アジアを代表する撮影監督の背後にあるもの:浦田秀穂インタビュー

ベテランの撮影監督、浦田秀穂がアジアでの映画製作の経験について語る

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 映画とその作り手について考える時、私たちは一般的に監督や俳優、脚本家、そして時にプロデューサーを思い浮かべる。しかし、映画製作においては、撮影監督やサウンドデザイナーといった専門性の高い技術者とのチームワークが、映画監督の創造的なビジョンと同様に重要だ。

もっとも革新的な現代シンガポール映画作品のひとつである『幻土』(2018)では撮影を務めたほか(バリャドリッド国際映画祭で撮影監督賞、アジア太平洋映画賞にて撮影賞を受賞)、受賞歴のある数々の映画を手掛けてきた撮影監督の浦田秀穂。彼は間違いなく、日本映画界の優れた伝統を引き継ぐ一人だ。JFFシンガポール2019では、浦田のこれまでの作品が上映され、浦田本人が同映画祭のマスタークラス(映画制作に関する特別講義)に登壇。“レンズの巨匠”である彼にとって、魅力的な新プロジェクトを数多く控えている今年は、忙しい年になりつつある。

 今回、シンガポール出身で映画ライターのアルフォンス・チウが浦田と面会し、映画鑑賞をする際に参考になる、浦田なりの映画の見方や、世界を舞台にしたこれまでの活躍などについて話を伺った。

浦田さんにとって映画を作る意義とは? 映画製作における哲学を教えてください。

私にとっての映画作りとはシンプルに、ストーリーや人など、「新たなこととの出会い」を意味しています。そして新しいプロジェクトの度に初対面の人と顔を合わせることが、私の一番の楽しみでもあります。また、この仕事はタイミングがすべてなので、今はどんな状況下でも自分の仕事をより楽しむ時間にしようと心がけています。例えば、良い脚本があっても、予算がなかったり、良いスタッフがいなかったりと、上手くいかないタイミングの時もあります。しかし、いつチャンスが訪れるかは誰にも分からないので、時には勘を頼りに突き進み、良い作品を届けるために限られた条件の中で制作していかなければなりません。

 さらに踏み込んだ話をすると、脚本からスクリーンへと視覚的な言語をどのように映像に置き換えていくのかということを撮影する際に一番気を付けています。私の撮影哲学は基本的に、ロケーションが良く、物語が良く、プロダクションデザインが良く、演技などが良ければ、優れたカメラがすべてを「映画」にしてくれる、というものです。しかし、常に何かが不足しているので臨機応変にその場にあわせて撮影しなければなりません。同じ映像効果を異なる方法で作り出さなければいけない場合もありますが、私は別の方法でやることがあまり好きではありません。なぜなら方法を変えることで、ストーリーが変わってしまう可能性があるからです。

撮影監督になるまでの経緯を教えてください。

 私は田舎生まれで、かつ幼少期の当時はインターネットがなかったので情報を得るのも難しかったです。映画学校の広告は出ていましたが、映画製作を本当に学びたいのか確信を持てずにいたので、代わりにロースクールに通いました。ある日、東京に行く機会があり、友人がある撮影監督を紹介してくれました。その撮影監督は、「君がなりたいと思っているモノより、君が表現したいと思っているモノの方が大切だ」と語ってくれました。とにかく映画の勉強がしたいと気付いたのは、ロースクール4年生の時だったと思います。その時ロシアとポーランドの映画に魅了されていたので、二つの国の映画学校について調べました。世界的に有名な映画学校の数校に実際に足を運びましたが、言葉の壁があってヨーロッパでは学ぶことができないと実感しました。

 そしてアメリカへ行き、コロンビア大学、ニューヨーク大学、アメリカン・フィルム・インスティチュートを見学し、3校全てに受かりました。最終的に、専門分野を超えて学ぶことができるカリキュラムに惹かれて、ニューヨーク大学を選びました。授業が始まると、クラスメイトのほとんどが実際には撮影監督を志望していたことにとても驚きました。また、彼らは信じられないくらいの経験をすでに積んでいて、何の知見もなかったのは私だけでした。

 正直なところ、映画を学び始めた当初は監督になりたかったんです。でも私の英語が脚本を書けるほど上手くなく、それが最終的に撮影監督になることを選んだ理由の一つでもあります。また、テクニックを知らずとも、自分の見る目は確かだと信じていました。学期が進むにつれて、何でもフィルムで撮影するようになり、ラッシュプリント(*ネガから棒焼きされたフィルムのこと)も見られるようになると、結果的に周りに私に審美眼があると言ってもらえ、一緒に作品を作らないかと声を掛けてくれるようになりました。そうして撮影監督してのキャリアが始まりました。

「NYPDブルー」のようなアメリカのプロジェクトに携わってみてどうでしたか?

 思いがけない幸運が舞い込んだと思いました。プロジェクトに携わるきっかけはニューヨーク大学の講師の一人が撮影アシスタントを探していたのでそれに応募し、彼のもとでインターンを始めたことでした。もともとは撮影のフォーカス担当をしていたのですが、カメラオペレーターの一人が解雇され、そこでラインプロデューサーに撮影をしてみたいかと聞かれました。当時はまだ万全の態勢ではありませんでしたが、それでも挑戦してみたいと思ったので、「NYPDブルー」のカメラオペレーターになりました。

 アメリカで働いていた時は、平日はずっと大作映画に取り組み、週末にインディペンデント映画に取り組んでいました。大作とインディペンデント映画の制作の質に違いがあるのは明らかでしたが、インディーズのプロジェクトの方が遥かに自由で楽しいと感じました。

 日本に戻ってからは、撮影監督として働き始め、さまざまな知人たちと一緒に日本的な作品と国際的な作品をバランス良く制作していました。

手掛けた作品の中で、より多くの人に知ってほしいと思う作品は何ですか?

中嶋莞爾監督の『クローンは故郷をめざす』(2008)です。インディペンデント色の強い独特な映画で、14年くらい前に私が撮影しました。

ご自身の撮影スタイルにはどのような特徴があると思いますか? また、映画作品や撮影方法の見方に大きな影響を与えた映画作品はありますか。

私の作品を観た人たちは、私には独自のスタイルがあると言ってくれます。でも、それが一体どんなスタイルなのか、私にははっきりとまだ分かっていません。撮影現場で常に気を付けているのは、監督と徹底的にコミュニケーションを取り、絵コンテの内容について話すことです。私たちは常に目標が同じになるように、映画がどう進むか、映画がどう終わるか、ストーリーは何であるかについての話し合いをします。

 影響を受けた作品は、23歳の時に初めて観たタル・ベーラ監督の『サタンタンゴ』(1994)です。8時間にも及ぶ長編の白黒映画で、私には映画を観ているというよりも、体験しているという感覚でした。当時の私はそのストーリーが何について語っているのかを理解できませんでしたが、強烈な体験となりました。それ以降、彼の過去作品や、ミヒャエル・ハネケ、ビクトル・エリセ、マノエル・ド・オリヴェイラといった映画監督の作品を観ました。少し変わった作品を作る監督たちが好きで、なぜ彼らがそれらの作品を作ったのかを知るために、彼らの映画だけでなく、インタビューのような資料も見ました。

90年代は1日のうちに一人や二人とやり取りする程度で、生活や仕事は成り立っていました。しかし、今ではあらゆるコミュニケーション手段で人々が繋がっていて、皆が20人あるいはそれ以上の人々と毎日のようにやりとりをし、生産的になったと思っているかもしれません。しかし、実際には深く考える時間を全く持てていません。もしこれがこれからの世界のあり方であるならば、私の人生はもっと捉えがたいものでなければならないと気づきました。これが、時間を作るためにタル・ベーラから学んだことです。私はどの映画がベストかということを話しているのではなく、映画の中の時間を見ていて、私にとって時の流れこそが映画撮影だと思っています。つまり、物語を描くということは、時間――現在、過去、あるいは他の何か――を描くことだと思います。

現在、どのようなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいますか?

チェンシー・ウォンの新作を撮り終えたところで、今はニコール・ミドリ・ウッドフォードと、ある事に取り組んでいます。石井岳龍監督とご一緒させていただく日本のプロジェクトもあります。彼はすでに60歳過ぎで、私が18歳の時からのヒーローです。

どのようにしてやりたいプロジェクトを見つけているのですか?

私はプロデューサーでも監督でもないので、プロジェクトの見つけ方についてはよく分かりません。若い頃はもちろん、自分の作品集を持って交渉しに行くなど、自分を売り出さなくてはいけませんでしたが、今は当時よりも恵まれていると思います。それは一部の映画制作者はすでに私の名前を知っていますし、私が一緒に仕事をしたことのあるプロデューサーがいて、私のスタイルと仕事のやり方を知っているからです。そのため、ある監督が本当に意思疎通できる撮影監督を求めている場合、彼らは「ヒデが最適だ。彼は映画について話すのが好きだからね」と言ってくれると思います。

コミュニケーションは私にとって非常に重要です。いったん一作品のプリプロダクションを始めると、別の仕事を引き受けることができません。というのも、私の作品創りは脚本から始まり、他の情報でそれを崩したくないからです。それが異なるプロジェクトを同時に撮影するのがあまり好きではない理由でもあります。違う仕事になれば、頭を切り替えたり、仕事場を変える人もいますが、私にはできません。それよりも、毎回何か一つのことに集中することほうが好きなのです。

取材・編集:アルフォンス・チウ

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