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日本映画界のレジェンド・樹木希林を偲ぶ

今年亡くなった名優はこれからも永遠に私たちの心の中で輝き続ける

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2018年、日本の映画界を長年牽引してきた名女優が75歳でこの世を去った。樹木希林だ。9月15日に都内の自宅で家族に見守られながら息を引き取った。国内外のファンからも追悼の声が相次いだ。

数々の映画やテレビドラマ、受賞作品で主演を演じ、俳優仲間の中でも常に格上の存在だった。それにもかかわらず、思いやりに溢れ、感受性も強く、そして何よりも映画制作へただただ純粋に身を捧げた。そのユニークで(ちょっと変わったと言ってもいいかもしれないが)意志の強い多才な女優・樹木希林はまさに生きた伝説だった。今後スクリーン上で新作を見ることができないと思うと残念でならない。

樹木の女優としてのキャリアを「うれしい偶然」と片付けてしまっては、その才能やカリスマ性、そして数々の努力を否定することになるだろうか。しかし、女優としての世界的な成功はありえなかったかもしれないサプライズな出来事だったのだ。少なくともそのはじまりは。当初薬学の道へ進む予定だったが、不幸にも(私たちにとっては幸運なことに)スキーで怪我をして入学試験を受けられなかったため断念。回復後は、最初に見た求人広告に応募すると決めた。そしてそれはのちに人生を捧げることになる演劇のオーディションだった。

1960年代に文学座へ入団し女優としてのキャリアをスタート。その後、活動の場をテレビやコマーシャルへと移し、その勘の良さや個性的な演技で評価を得た。スクリーンデビュー直後はテレビや映画の役で人気を博したが、のちにそのことに対して露骨に否定的なコメントを残している。

「その当時のことで思い出に残っていることはなにもないんです」。2016年のサウスチャイナ・モーニング・ポストのインタビューでこう語った。「そういうお仕事のことはみんな忘れてしまったのよ」。これは本心だったのかもしれないが、ミュージカルコメディ映画『神様の恋人』(1968年)や、テレビドラマシリーズ『寺内貫太郎一家』(1974年)などで見せたその才能と多才さは見過ごすことができない。

「私がこの仕事を始めたのは、他に仕事がなかったから。55年間の俳優人生の中で、はじめの45年間は生活のためだったと言えるでしょうね」。竹を割ったような率直さで芸能界の現実を語ったが、こうも続けた。「私が本当に映画に情熱と関心をもつようになったのはここ10年くらいのことなんですよ」。それまでは、与えられた役に対して女優として責任を持つ必要はないと思っていた。

謙虚なのか正直なのかわからない。しかし、その後のインタビューを見ていくとこれが上辺だけの謙遜ではないことがわかる。樹木は何のためらいもなく慣習を破るタイプの人間なのだ。その良い例が芸名だ。1977年、芸名をそれまでの「悠木千帆」から、辞書をめくって見つけた「樹木希林」に改名。「ほかに売るものがない」からチャリティーオークション番組で芸名を競売にかけたのだ。なんとも普通では考えつかないような話である。

出演歴を見ていくと、女優として責任とプライドを持って参加している作品は、映画監督・映画プロデューサー・脚本家の是枝裕和との仕事が多いことがわかる。2人が初めて作品を共にしたのは、長男の命日に集まった家族の24時間を描いた『歩いても、歩いても』(2008年)。家族間の微妙な人間関係を探った今作品は大成功し、アルゼンチンで開催されるマール・デル・プラタ国際映画祭の2008年の最優秀作品を受賞した。本作の公開は樹木にとって新たな一歩となった。

年を重ねてから遅れてやってきた演技への情熱は人生最後の10年間で本格化し、女優として最高の映画へと繋がっていく。『歩いても、歩いても』の前年、俳優で作家のリリー・フランキーの自伝小説に基づいた映画『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(2007年)に主演した。

今作品では、アル中の旦那“オトン”を置いて幼い息子と家を出る“オカン”・中川栄子を演じた。“オカン”は数年後ガン宣告を受け、大人になった息子・中川雅也(オダギリ・ジョー演じる若い頃のリリー・フランキー)のいる東京へと引っ越すことになるのだが・・・。これをブレークと呼ぶのはいささか変かも知れないが、本作品がまさに樹木のブレーク作品となった。2008年の第31回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。この賞には過去に一度ノミネートされたことがあるだけだった。本作は並外れた成功を収め、2008年の日本アカデミー賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演女優賞などを含む8部門を受賞し、賞をほぼ独占した。

2013年、『わが母の記』(2011年)で演じた認知症の母親・八重役で再び日本アカデミー賞主演女優賞に輝いた。夫の死後ひとりになった八重の面倒を見るために集まる家族の15年を描いたドラマだ。八重の孫・琴子(宮崎あおい)のナレーションで進む今作品は、琴子の父・洪作(役所広司)が幼い頃に母(樹木)に捨てられたという想いと、母の面倒を見ねばならないという義務感の狭間の心の葛藤を丁寧に描く。家族を恨み、自分勝手を言い、許し、そして老いていくという厳しい現実をとことん追求している今作品はゆっくりと物語が展開していくが、人間感情の複雑なニュアンスまでも表現している樹木の演技から目が離せない。

“復興期”とでも呼べそうな活躍を見せるちょうど3年前の2014年、ガン宣告を受けた上、他の医学的な問題も抱え、大変な時期を過ごしていた。お世辞にも良いとは言えない健康状態について聞かれた2018年のジャパンタイムズのインタビューでは「とてもおもしろいのよ。これが年をとるっていうことなのかしらね」と答えている。

結婚はしているが、人生の大半を一人で暮らしてきた。だからといって、決して人を信用しない性格だった訳ではない。生前、死相感についてこんな風に語っていた。「私はね、自宅で死にたいのよ。モルヒネで幻覚をみながらね。死ぬときは痛みはないほうがいいわね。そして死に際には「じゃあね。さよなら!」と言うの」。病気になったことで肉体は“地球での借り物”だということを学んだ。2012年の映画『ツナグ』では、孫に死者との繋がり方を教えながらも、愛する者を失ったときにどのようにして前を向いて豊かな人生を歩んでいけるか、計り知れない喪失感をどのようにして受け入れていくかを伝える生者と死者の仲介人を演じ、現実世界とあの世との境界線をさまよった。

その皮肉たっぷりで歯に衣を着せぬ物言いと、母親のような優しさから「日本のおばあちゃん」として親しまれた。この“おばあちゃん”が絵に描いたように表現されているのが、映画『あん』(2015年)だ。今作品で樹木が演じたのは、どら焼き屋の店長(永瀬正敏)にバイトをさせてほしいと懇願するあん作りが上手な70歳の老女。演じる役柄と自身の共通点を聞かれたときには「役柄と同じようになれたなら、私はきっともっといい女優になれるでしょうね」と皮肉まじりに“希林節”を炸裂させた。

樹木の愛用するファックスに届いた最後の方の映画オファーのひとつが『万引き家族』(2018年)だ。これが是枝監督との最後の作品となった。今作品と『歩いても、歩いても』の間には、第39回日本アカデミー賞で12部門ノミネートされ最優秀監督賞を含む4部門で最優秀賞を受賞した『海街diary』(2015年)など4本の同監督作品に出演している。人生の底辺を生きる家族の家主・初枝役に樹木を迎えた今作品は、貧困、家族、そして国際社会を生きる人々の現実を見事なほどに浮き彫りにし、ゴールデングローブ賞、アジア・パシフィック・スクリーンアワード、カンヌ国際映画祭で数々の称賛を受けた。そしてカンヌ国際映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞したのである。

病魔にも負けず、『万引き家族』に続き映画『日日是好日』(2018年)に出演。樹木の輝かしいキャリアの最後を飾るにふさわしい作品だ。映画のタイトルは禅語で「毎日がすばらしい日」という意味。

「幸せはどこにでもあって、私はそれを見つけるのが上手なの」。2016年のサウスチャイナ・モーニング・ポストのインタビューで健康状態についてこう応じた。「死に直面した時でさえ、そこに幸せを見出せると思いますよ」。

『日日是好日』の10月の公開を待たずしてその1ヶ月前に旅立った。たゆまず走り続けた大女優を愛してやまない映画関係者や数え切れない多くのファンの喪失感は計り知れないが、数々の作品やインタビュー、そして樹木に影響を受けた人たちの心の中でその伝説は生き続けることだろう。平気な顔をして反ハリウッド姿勢を映画業界に見せつけ、自分のペースで人生を歩むことは何も間違ったことではないと証明してみせた。そして、老いたり、病んだり、常識から逸脱しているからといってこの世界を良くするのに遅すぎることは決してない、と樹木の生き様が私たちに語りかけているのである。

文:Lucy Dayman

翻訳:柿谷まりや

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